湊橋はアーチ橋です。・・・と書くと、どうしても上向きの大きな弓なりの部分に目が行ってしまうが、そちらは隣接している別の橋で「湊橋水管橋」という、上水道が通っている橋だ。もちろん人や車は渡れない。
水鳥の溜まり場になっているのはそちらの水管橋のアーチの上。このブログでも水鳥撮影で時々お世話になっている。たとえば↓
水管橋は湊橋本体に近いとはいえ手が届くような距離では無いので、安心していられるのだろう。
とにかく、湊橋がアーチ橋たるゆえんは、橋の下部の3連アーチ構造によるものだ。そして橋脚には丸いレリーフがはめ込まれている。上流側と下流側それぞれ2つずつ。いずれも同じ帆掛け船のデザインだ。こんな感じ↓。
帆掛け船のデザインというのは、湊橋が架かっている日本橋川やその周辺がかつて水運で賑わっていたことに思いを馳せられる良い図案だと思う。
下り酒
江戸時代は江戸と上方(京・大阪)を結ぶ航路も確立されていて、菱垣廻船、樽廻船と呼ばれた船が多くの荷物を運んでいた。レリーフの帆掛け船もおそらくそれらをデフォルメしたものだと思われる。
上方から届く荷物として湊橋のあたりで有名なのはなんといってもお酒だ。橋の南側は中央区の新川地区。江戸時代にはこのあたりにたくさんの酒問屋が立ち並んでいた。新川には新川大神宮という小さな神社があるが、この神社は酒問屋の神様として今でも酒業界からの信仰を集めている。
当時、皇居は京都にあったので、上方から江戸へは「下り」便ということになる。というわけで灘や伏見の清酒が「下りもの」として珍重されたのだ。逆に「下っていない」地酒などはランクの低い商品とされていた。
要するに「下りもの」は素晴らしい、「下らないもの」はつまらない、というのが常識になり、これが現代語の「くだらない」という形容詞の語源になったのだそうだ。
醤油の町、蛎殻町(かきがらちょう)
湊橋の北側は箱崎の端っこだが、その西隣には今は亡き「箱崎川」をはさんで蛎殻町という町がある。この町にはいまでもヤマサ醤油・ヒゲタ醤油などの醤油メーカーのオフィスが結構あるが、かつては水運(こちらは主に利根川・江戸川などの河川系)を利用して「野田のキッコーマン醤油」「銚子のヤマサ醤油とヒゲタ醤油」などがこの地に荷揚げされていたのだ。醤油会館という象徴的な施設も蛎殻町にある。
また、蛎殻町には「ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション」という、カフェを併設した小さな美術館があるのだが、これは単にヤマサ醤油がスポンサーという意味ではなく、メゾチントという銅版画作家の浜口陽三氏自身が、ヤマサ醤油10代目当主、浜口儀兵衛の三男にあたるというつながりもあったりする。
さらにちなみに併設のカフェ『H(アッシュ)』では、醤油アイスという面白いものをいただくことができる。名前が何だか恐ろしい感じがするが、とても上品な味わいだった。
湊橋(赤丸印)・新川大神宮・醤油会館の場所は下記。