JR越中島の駅を出てすぐのところに東京海洋大学があり、隅田川に隣接するキャンパスに明治丸が実物保存されている。1874年(明治7年)イギリス生まれ。今年で148歳を迎えるとは思えない美しい船だ。ちなみに一見、木造の帆船に見えるが、世界的にも現存するのが珍しい「錬鉄製」の船で、蒸気機関も備えている。
隅田川や日本橋川には国の重要文化財に指定されている歴史的な『橋』がいくつもあるが、『船』として日本で初めて重要文化財に指定されたのがこの明治丸。氷川丸や初代日本丸も重要文化財だが、明治丸の指定はそれらより早かった。それだけ重要な船だったということなのだろう。
小笠原諸島が日本領なのは明治丸のおかげ
時は明治8年。当時、小笠原諸島のあたりはどの国に属するのかが曖昧で、実際、父島には欧米人も結構住んでいたらしい。特にイギリスが領有権を主張していた。
そこで明治政府は正式に日本領であることを宣言すべく、明治丸に調査団を乗せて横浜を出航させた。この動きを敏感に嗅ぎつけたのがイギリスで、明治丸に1日だけ遅れて軍艦を小笠原に向かわせた。
ところが新鋭艦であった明治丸は俊足で、イギリス船よりも2日も早く小笠原に到着。到着後は速やかに欧米系の住民を含めて島民の意思を確認し、日本の領土であることをまずは小笠原の地元で宣言。戻ってからは各国公使の前でも宣言し、無事に日本の領土であることを担保できたのだ。
このエピソードは明治丸の性能の素晴らしさとして語られることが多いが、別の見方をすれば、当時のイギリスがいかに寛大で寛容だったかも示しているような気がする。明治丸を造ったのはそもそもイギリスだし。船の到着が遅れたくらいで領有権の主張を引っ込めてくれたわけだし。
海の日という祝日ができたのも明治丸のおかげ
明治丸は明治天皇も気に入ってときどき乗船されていたらしく、船内にはロイヤルシップとしての貴賓室もあった。そんな明治天皇が明治丸で東北・北海道を巡幸され、無事に横浜港に帰着したのが明治9年7月20日。この日を記念して昭和16年に「海の記念日」が制定され、やがて平成8年には「海の日」という国民の休日に昇格したのだ。
もともとは灯台巡視船(灯台というのは陸路からは行きにくい難所に立っていることが多い)として運用されていた明治丸だったが、役目を終えた後は商船学校(東京海洋大学の前身の前身)に譲渡され、海員教育の練習船となった。大正12年の関東大震災や昭和20年の東京大空襲のときには数千人の罹災者の収容にも活躍したのだそう。
ボランティアガイドのかたの説明がすばらしい
「明治丸を見せて欲しい」と海洋大の正門受付に申し出ると快くOKしてくれる。見学者が多い日は事前に予約したほうが良いと思うが、少ない日であればそのとき手の空いているボランティアスタッフのかたが懇切丁寧に案内をしてくれる。
東京海洋大学は東京商船大学と東京水産大学が合併してできた大学だが、商船大学のOBのかたたちは船というものに対して並々ならぬ熱意を持っている方が多いようで、ボランティアスタッフも商船大のOBのかたたちだ。
明治丸が陸地に上がったのは伊勢湾台風が原因
明治丸が練習船としての役目も終え、商船学校→商船大学で保存されていた時はもともと水に浮かべた係留保存だったらしい。下の画像の緑の芝生のあたりはかつてはポンドと呼ばれた係留池だったのだそう。ところが昭和34年の伊勢湾台風による高潮で東京が甚大な被害を受けたのをきっかけに、隅田川両岸にはコンクリートの堤防が全域にわたって設けられることになった。(船の向こうの黒い帯のような部分)
高潮を防ぐには好適だった堤防だが、これによって「ポンド」は隅田川と分離されたことになって排水場所を失い、激しく汚濁することになってしまったのだ。なのでしかたなく陸に引き上げて展示することになったのだそうだ。
明治丸の補修
とても美しく見える明治丸だが、これは何度も何度も補修を繰り返して来た賜物だ。特に太平洋戦争直後、米軍に接収されて酒保(軍人専用の酒場のような場所)にされていたときには激しく傷んだのだそう。
返還後、何度か補修を行ったものの、本格的な大補修のきっかけは、2011年、天皇皇后両陛下が明治丸を視察された際、学生たちの手旗信号を皇后陛下が読み取って周囲を驚愕させたというエピソードが元になったのだそうだ。(皇后陛下:今の上皇后陛下:美智子様は若い頃手旗信号を習ったことがあったらしい)
当時は今ほどきれいに補修は行われていなかったのだが、このエピソードをきっかけに宮内庁だか文化庁だかが急遽補修費用を捻出することにしたのだそうだ。
とはいえ、重要文化財ならではの制約事項も多いようで、補修の釘を1本打つにも国の許可が必要なのだとのこと。
見学にあたって
外観を眺めるだけであれば、東京海洋大学の門が開いている日であればいつでも良さそうだが、下記の画像にある曜日であればボランティアスタッフのかたのガイド付きで船を案内してもらえる。
コロナ前には船内に入ることができて貴賓室やブリッジも見ることができたのだが、残念ながら今は甲板に上がってガラス越しにしか中をうかがうことはできない。それでも(塗装の必要の無かった)ケヤキ製の手すりや、厚さ6.5cmもあるチーク材の甲板など面白いものはとても多い。ガイドのかたもコロナの収束を待ちわびているようだった。
おまけ
最寄駅のJR越中島駅の、海洋大学方面の通路にはこんなものが。アンカーに垂直な棒が刺さっていれば明治丸確定だが、(明治丸のアンカーは固定しやすいよう、通常の錨に垂直に大きな棒が刺さっている)もしかするとこれは明治丸を特定したものでは無いのかな。