かれこれ2年以上、本当~~に、ゆーーーっくりゆーーーっくりと工事をしていたバリアフリーテラスが、この2月にようやくオープンした。言いたいことも無くはないが、まずはめでたし。
場所は日本橋川河口、豊海橋の北岸。隅田川テラスは気持ちのいい場所だが、車椅子の人にとっては介助無しにテラスに出るのが難しかったはずなので、とにかく朗報であることは間違いない。全容はこんな感じ。
隅田川に堤防もテラスも無かった時代
今では想像もつかないが、そんなに大昔というほどではなく、1956年(昭和31年)頃まで、隅田川には堤防もテラスも無かった。
上記の豊海橋から1kmほど上流の川沿いは、かつて浜町河岸と呼ばれた場所だが、昭和のヒット曲?で、こんな歌がある。(明治一代女)
浮いた浮いたと浜町河岸に / 浮かれ柳の はずかしや
人目忍んで 小舟を出せば / すねた夜風が 邪魔をする
要するに、堤防もテラスも無いので「人目忍んで小舟を出せる」ような場所であったらしいのだ。
なんとも風情のあった時代のように思えるが、もちろん弊害もあった。いや、弊害という程度のものではなかった。隅田川流域は常に酷い水害に悩まされていたのだ。
隅田川の東隣に荒川という大河があるが、これは水害対策のために人工的に作られた水路で、もとは「荒川放水路」という名前だった。そして今の隅田川こそが「荒川」と呼ばれていた。(流域によって色々な呼ばれ方をしていたようで、スミダガワ、という名前が無かったわけではない。また、下流の方は大川と呼ばれることが多かった)
荒川というのはその名が示す通り「荒ぶる川」で、堤防を作ろうという計画は戦前、昭和の初めにはすでに立てられていたようなのだが、戦争のせいで実現しなかった。
A.P.というのは「Arakawa Peil(荒川基準水位)」のこと。
隅田川がかつては荒川と呼ばれていた名残でもある。
垂直堤防が隅田川全域に!しかし・・
戦争が終わったことで堤防化計画はやっと始動し、ついに昭和31年、隅田川の全域をコンクリートの高い壁で覆ってしまう大工事が完成した。上の写真でわかるよう、これまでで最高の潮位を記録した伊勢湾台風がもう一度来ても大丈夫な高さを確保して。
しかし、この堤防が思わぬ弊害を引き起こしたのだ。「浮いた浮いたの浜町河岸」の時代には、人々と水辺はとても近い関係にあったのに、堤防で隔てられたことで川の姿が見えなくなり、「川にゴミや汚水を垂れ流しても気にならない」という、とんでもない時代になってしまったのだ。堤防自体もカミソリ堤防と揶揄された。
隅田川だけでなく、支川である神田川や日本橋川も悪臭漂う汚染川になってしまい、明治時代から隅田川で繰り広げられてきた伝統行事、『早慶レガッタ』も、あまりの川の汚さに開催不能になってしまったくらいだ。
当時は全国的に公害問題が深刻化していた時代なので、「カミソリ堤防のせい」だけではないのかもしれないが。。。
水辺を取り戻す試みその1「隅田川テラス」
さすがにこれではいけない、と行政が考えて実現したのが隅田川テラスだ。コンクリートの垂直堤防の外側、川辺のほうに幅の広い遊歩道をしつらえ、堤防の外側と内側の行き来を可能にすることで再び人と水辺を近づけようという試みだ。
現在では隅田川のほぼ全域にわたってテラスがしつらえられている(下図)。
隅田川テラスの利点は、単に水辺近くを歩けるというだけでなく、「テラス側から」堤防を見ると、格好のディスプレイにもなるという点だ。
これを活かして「隅田川テラスギャラリー」など、殺風景なコンクリート壁が素敵なアートで彩られることも増えた(下図)。
手前の杭は江戸時代に「両国千本杭」と呼ばれた治水のくふうを記念したもの
水辺を取り戻す試みその2「スーパー堤防」
そして隅田川テラスの進化形が「スーパー堤防」だ(緩傾斜堤防ともいうらしい)。ディスプレイに転用可能とはいえ、いかにも「分断」を象徴するような垂直コンクリート堤防ではなく、小さな丘のような作りにすることで、自然に、よりシームレスに人々と水辺を近づけようという試み。
堤防の上には大島桜が植えられている。
スーパー堤防は「堤防」であることを感じさせない、まるで公園のような美しさなのでできれば流域全てをスーパー堤防化して欲しいところだが、さすがにこの工事の難度は垂直堤防の比ではない。堤防の内側のほうにも傾斜が必要なので、住宅が密集しているようなところでは立ち退いてもらわないといけないからだ。
それでも、隅田川全域の1割近くはスーパー堤防化されているらしい。東京都は色々と効率の悪い無駄な事業も多々やっているようだが、こういう地道な取組みを粛々と進めているのは素晴らしいと思う。
そして、このスーパー堤防の利便性をさらに高めたのが、この記事のタイトル、「バリアフリーテラス」だ。隅田川テラスを走るランナーは多くて、言い換えれば「健常者の楽園」だったのだが、今後は車椅子の人たちをはじめ、すべての人にとっての楽園になりそうで楽しみだ。